あたらしいわたし
永福寺跡
永福寺と書いて「ようふくじ」と読みます。
源頼朝は、奥州藤原氏と戦うために行った平泉で見た中尊寺に感激し、永福寺の建立を思い立った、といいます。

ここ10年、本格的な調査が行われていて、近くを通っても、工事中?みたいな塀で囲まれていました。建物を建てる前にしょっちゅう発掘調査をしているので「鎌倉あるある」ですね。
今は整備されて、池も再現されました。釣殿、橋跡など、ずいぶん大きく豪華で、当時の文献には「極楽の様子を表したよう」と形容されています。
頼朝以下歴代の将軍たちは、ここで、蹴鞠、花見、歌会など華やかな行事をして、また幕府の迎賓館としても使われていたようです。

鎌倉時代後期には、火災、焼失、再建を繰り返し、1405年の火災の後、再建されることなく廃絶してしまい、永福寺の中心のお堂「二階堂」の名前だけが地名として残っています。

頼朝は庭造りの専門家の静玄を京都から呼んで、庭石の配置を相談し、一度出来た庭石の置き方に満足せず、やり直しさせたり、結構こだわって造ったようです。
にもかかわらず、再建されなかったのは、、、なぜでしょうね?

この地が光になりますように、光を降ろしました。

ふうん、あまり地元のみんなに好かれていなかったのね、源一家。
武士よりも高僧、宮様がお好みの鎌倉村民だったのかな。
それにこのお寺、ちょっとバブリーな感じ⁈を受けます。
金ピカとか、どうだデッカいだろ、みたいなのは、、、お好きではない。
そういう意味で行くと、谷戸の奥にひっそりと佇む古刹好きかも。
なおかつ、実はスゴいんです、ここの僧、みたいなの好き。
秘密が好きかもね。
あ、秘密好きに仕向けたの、私か⁈

ちなみにここの裏手は東光寺跡、そう、護良親王をお祀りする鎌倉宮ですからねー。
瑞泉寺と東光寺の間に永福寺は必要なかった、ということかな。

では、新たな気持ちで、ご縁深い鎌倉宮に向かいます。


あたらしいわたしに幸多かれ!


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瑞泉寺
瑞泉寺は、臨済宗円覚寺派のお寺で、紅葉ヶ谷という地名の通り、紅葉がきれいな花の寺で、いつ来ても季節のお花でいっぱいです。
総門を入った先にある住宅街に隠れ家のようなレストランがあって、何度かランチに来たことがあるのですが、歩いて来たのは初めてでした。
思ったより、結構、距離あるなー。
車の有り難みを感じます。

風情のある参道は苔むした石の階段なので、足元に気をつけて上がります。
息を切らしながら、やっと着いた山門をくぐり、本堂にごあいさつ申し上げます。
特に何も感じない、、、
たくさんのお花の前庭は、意外にも、ちょっと西洋のお城の雰囲気さえ感じます。
そして、わりと明るい。
だいたい谷戸の奥は、じめっとしていて暗い印象だけど、ここは、ずいぶん高いところなんだなー、だから、富士山も臨めるわけだ。

さて、気になっていた夢窓疎石の作という庭園は、鎌倉の谷戸ならではの岩盤に彫刻を施していて「岩庭」とも言えます。
書院庭園の起源という、鎌倉に残る鎌倉時代唯一の庭園。

しかし、ここはなんかいる、とにかく重い。
池に白い蛇?
それと、銀色っぽいツヤツヤした感じのもの?

なんだかよくわかりませんが、光を降ろします。
地球は光になりました。
闇の仕事は終わりました。
どうぞ速やかに安らかに光にお還りください。
ありがとうございました。
あまりシックリ来ないけど、お祈りしましたので、終了。

どうもあまり感覚を使わないまま、山を降りて来ました。

下のお庭は、かわいい感じで、やはり、西洋っぽい感じを受けます。
ちょうちょがたくさん飛んでいて、楽しそうにしていたので、これで良しとします。

あたらしいわたしに幸多かれ!



闇に感謝
ここ2週間、闇のエネルギーがまとわりついていまして、、、
私がまだまだなんだろうなーとは分かっているのですが、私なりにガンバっているつもりでした。

最初は、いわゆる肉体のないエネルギーだったような気がするのですが、今や生き霊⁈というエネルギーを感じます。

一生懸命、自分に光を降ろして強い自分でいようとしたけど、なかなか自分を取り戻せないでいます。

それでも、天使さんたちにお願いしながら、コツコツ動き回って、ご縁のある場所を訪ねていましたが、とにかく、会いたくない人に会ってしまうので、なんだか出かけるのが億劫になってきました。
もともと出不精ですし、、、。

どうしてかなーと思っていたのですが、ふと「光になりたい!」と感じました。

そうか、みんな深いところでは、分かっているのですね、光になりたいのですね。

生まれる前に、今回は肉体を持っている間に地球が光になることをみんな知っていて、ここにいるのですね。

頭では、思い出していなくても、魂は分かっているのですよね、どうにかして光になりたい、と。

闇を感じて、大きな光になることの難しさと有り難さと、何より素晴らしさを改めて実感しました。

これって奇跡の地球!
ん、地球の奇跡か⁈
どっちも!

いっぱいいっぱいみんなに、地球に、そしていちばん大切なわたしに、光を降ろしたい!
みんなで光になりたい!

あたらしいわたしに幸多かれ!










東慶寺
東慶寺は、線路を挟んで円覚寺のちょうど反対側にあります。
明治時代まで駆け込み寺、縁切り寺として機能していた尼寺。
明治以降は禅寺となり、世界に禅文化を広める拠点だったこともあって、出入りしていた文学者、哲学者のお墓があります。
いつも四季の花々がきれいにお手入れされています。

小さな山門をくぐり、お金を払って、本堂へ。
ご縁あって、光を降ろしに来ました。
地球は光になりました。
闇の仕事は終わりです、お疲れ様でした。
ありがとうございました。
速やかに安らかに光にお還りください。

今日は飛行機もヘリコプターも来ないなーと思っていると、ふと「女の涙」と浮かびました。
ん?駆け込んだ女性たちの悲しみ?なんか違うなー。
女の涙に弱い?女の涙は怖い?
よくわからない、、、まあ、いいか。

奥の墓所は鎌倉特有の地形の谷戸で南側が山なので、いつ来ても暗く濃い緑、そして、いつもジメジメしている感じ。
ここには、後醍醐天皇の皇女で護良親王の妹の「用堂」尼のお墓もあります。
用堂尼は兄の護良親王を弔うためにお寺に入ったといいます。
(ううむ、護良親王を祀っている鎌倉宮に行けってことかな、、、なぜか苦手なの、あそこ)
その後、代々、公方様の娘が住持になり、それが松岡御所と呼ばれた由縁です。
今は臨済宗円覚寺派に属していますが、昔は、独立していて格式の高いお寺で、ちょっと秘密めいている感じ。

その上、松ヶ岡文庫なる仏教アーカイブス書庫があるけど、関係者以外立ち入り禁止。
確かに一般公開出来る様な内容ではないのかもしれないけど、ますます怪しい、、、。

と、そんなことを想い巡らしながら、家に帰って、お風呂に入っていると閃きました。
女の涙は「ツカえる」!
ははーん、ワタクシは女の涙を利用して闇の仕事をしていたようです。
その時のわたしをイメージして光を降ろしました。
お疲れ様でした、古いわたし。

あたらしいわたしに幸多かれ!
明月院
北鎌倉駅から建長寺に向かう途中、左の谷戸に入ると、アジサイ寺として有名な明月院があります。

実は初めて行きました。
とにかく、アジサイ以外にも、お庭がきれいなのでいつも混んでいるイメージで、、、
夏もひと段落ついて、あまりお天気の良くない日に行ったら、観光客もまばらでした。

ここは、この地の山ノ内さんが平治の乱で戦死したお父さんの供養に明月庵を創建したのが始まりです。
(ちなみにここの住所は山ノ内。)

その後、北条氏がここに最明寺を建立、そのまた後に、蘭渓道隆が禅興寺を創建し、明月庵は明月院と塔頭に格上げになり、明治時代に廃寺になった時に明月院だけ残った、と、まあ、紆余曲折あって現在なのです。

やはり、本殿の奥の枯山水のお庭は素敵な空間。
花菖蒲と紅葉の季節だけ公開だそうなので、また来ようっと。

本殿に手を合わせ、ご縁あって、光を降ろしに来ました、と申し上げます。
割りと軽やかな感じのお寺です。
ここでは、特に何も感じないな〜。

趣き深い鎌倉石の参道を降りる手前に、ウサギ小屋があり、他にもリスや野鳥の餌場があります。

明月院と言えば、お庭を賞でる円窓(悟りの窓)にピョンと飛ぶ影ウサギの写真が有名です。
写真のウサギは、先月亡くなったそうです。

ウサギは夜に月に帰るので(ってことで⁈)UFOや宇宙人のおもちゃが飾ってあります。
こりゃ、可愛い動物たちの見世物小屋か、、、
なんだかちょっと寂しい気分になっちゃう。

と、ヘリコプターが近づく音が、、、
お、これはここでお祈りを!ということか⁈

地球は光になりました。
闇の仕事は終わりです。
今までお疲れ様でした、ありがとうございました。
この地に留まっている闇のエネルギーが安らかに速やかに光に還りますように。

もっと軽やかな空気感になった気がします。
ちょうちょと一緒に出口に向かいました。

ここは、思いのほか軽い感じで、谷戸の奥の重さがあまりないのは意外でした。
こんな谷戸もあるんだなぁと思いました。

行ってみると分かることがあるんですね!


あたらしいわたしに幸多かれ!